「一本の電話からカンボジアへ」兵頭栄介ブログ(2)

兵頭栄介

今思えばこの一本の電話から、人生の歯車が噛み合いはじめた気がします・・

寄付をした1週間後に高山良二さんから電話があり、その時に初めて高山さんと会話しました。

「ご協力頂き、ありがとうございました」と言うお電話でした
会話した印象は、気さくで親しみやすく、自然体な方だと感じました。
話は弾み、気づけば私がカンボジアに行く話へと導かれる様に展開していました。

私は、歴史が大好きで書物だけではなく、その歴史の現場に行く事も重要視しており
その為か、電話でカンボジアの様々な話を聞くにつれカンボジアの歴史や高山良二さんが働く現場に非常に興味が湧いてきました。

私は様々な歴史の現場へ行き、学びを深めてきました、中には身震いするような現場や、思わず魂が震え涙する現場もありました。

その体験談を少しだけ、ご紹介させて頂きます
当時、私は沖縄の歴史に興味があり、毎年、年に一回、2泊3日で沖縄の歴史の現場を1人でコツコツと散策する旅をしておりました。

そんな中、たまたま沖縄で知り合った方が、私の行動に感動し、共感してくれた様で、私が沖縄に行く時には、わざわざ仕事を休み、空港まで迎えにきてくれて、私が行きたい所へ朝から、晩の暗くなるまで車で私を連れて行ってくれました。そしてアパート暮らしの彼は、奥さんと2人の元気で小さな娘さんを知り合いの宿舎へ泊めさせ、私の旅費を抑える為に、いつも自宅へ泊めてくれました。沖縄の方は、本当に心穏やかで温かく優しく、芯が強い方が多いです。

因みに、この2箇所は彼と毎年行った場所です。

一つ目は「白梅の塔」です
この場所は沖縄戦1945年の終戦まじかに白梅学徒看護隊の15、6歳の方々が自決された壕がある場所です。

白梅の壕から出る私の後ろ姿です。

今でも忘れません、友達と2人で薄暗いゴツゴツとした壕の中に入り、重苦しい空気の立ち込める中、膝をつき、お線香をあげ、いろんな感情が込み上げる中、2人で小刻みに肩を震わせながら、一心不乱に手を合わせ慰霊のお参りした事を・・

二つ目は、「真栄里の塔」です
沖縄戦で、日本軍が最後に玉砕した終焉の地が真栄里付近です、そしてその場所で最後まで戦った部隊が二二連隊です。二二連隊とは私の地元、愛媛県の部隊でもあり、私の郷土の先輩方でもあります。

この場所は旅の途中でたまたま見つけた場所で、今では交差する道端に塔があるだけの、沖縄の生暖かな風が吹き抜ける、見晴らしの良い場所です。

この場所を知ってから「これも何かのご縁だ」と思い、沖縄に来た時はいつもこの場所に愛媛の地酒を捧げる事にしています。

塔のぐるりの土に日本酒を注ぐと、甘い香りが風に乗って辺りを覆います、その瞬間大好きなお酒の香りに私の頬も緩みます。

真栄里の塔から見える景色

「例え遥か昔の物語であったとしても、どんなに書物を読み込んでも、その歴史の現場に行かなければ分からない発見が必ずあります」

話は、お〜きくそれましたので・・・話を戻します・・・汗(^◇^;)
そして私は、高山さんから電話があった2ヶ月後のゴールデンウィークにカンボジアに行く事になりました。

つづく・・・

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